先日あるカウンセラーの人と話をしていて、何事も整理整頓するとアタマにいいアイディアが出てくる・・・・という言葉に触発された。
今年の東京(多摩地区)はとても清々しい春で、私の10年に及ぶタイランドの滞在と旅、そして人との関わりの整理整頓としてとても良い機会だと感じているところであった。折しも、WinXPがヤバイ・・・ということになってしまい、乱蔵氏から提供されているWin7への移行と整理も兼ね、過去のデータを整理整頓しているとまあ、どうしても懐かしい画像がバンバン出てくる。
いろんな人と関わったワリには、総じて「お一人様時代」だったことに改めて淋しさを思い出すが、しかしながら我ながらようやるわ・・・というバタバタ人生の私小説のような世界であったとも感じる。
興味深いのは、登場人物(私と深く関わった人たち)がすべて連続ドラマのようにつながっていて、大人向けのアニメ・ドラマにでもしたらさぞかし笑いがとれるだろう・・・・と思ってしまう。なんだか、タイランドとの関わりの出来事は、シリアスなドラマではなくて、漫画のようなコミカルさが漂っていることに改めて気づいた。てめえ一人でシリアスを引き受けてかなり損したような気分はややあるけれど、誰にもできない(別に誰かがする必要は全くないが)経験をしたことだけは確かなようである。
まあ、基本体が丈夫で、心身が喪失しなかったのが悲劇にならなかった要因であるけれど、何が自分をそうさせたのかは、未だに解けない謎である。
今日はタイランドでの居場所でよかったことを思い出してみたいと思った。
ここでは、デビューしたバンコク・カオサンでの滞在のことは考えない。
自分で探し求め、ずっと愛し続けたチェンマイでアパートを借りて生活した時の喜怒哀楽の日々が最も郷愁がある。チェンマイの滞在は当初中級ホテルで日払いから月契約で過ごしていたが、仲良しになったホテルのスタッフの紹介でタイ人一般と外国人少数が住む約月1万円程度のアパートに移ったのが始まりである。
まあ、ここを拠点に日本に帰国してもこの部屋に帰り、ここからタイ国内の旅に出て、街をバイクで走り、人と知り合い、いろんな出来事があった。
東京の多摩地区から富士山が見えるとうれしいように、窓からスケープ山が見えて第2の故郷として申し分のない愛すべき街だと思い続けることができた。
チェンマイのアパートに帰って、何が気分いいかといえば、日本の気候よりいつも気温は高い夜であるけれど、タイランド独特ののんびりした空気でコッケイの鳴き声が聞こえて、テレビからタイの歌謡曲や演歌が聴こえてくると、日本では得られない深くて安堵した眠りにつくことができたのであった。
この街と人をとても愛した分、ある大嘘を信じたことから始まった落胆が酷かった時期が相当期間続いてしまい、とても自分を消耗させてしまった。
あと少しでタイランドとチェンマイが大嫌いになるところであった。
そのキーワードは子供じみた「虚栄心」だった。
・・・・単純すぎる悲劇だった。
まあ、このごろアジア、タイ各地の長い旅を終えてようやく安堵感が戻ってきた。私の気持ちを戻してくれ、励ましてくれたのもやはりタイ人である。タイ人の本質の優しさが私を救ってくれた。
この落胆は私に非があるのではないけれど、もっと単純なことに気づけなかっただけのことであった。私は日本人なので、タイ人の感覚のどうしても理解できないことがあることを受け入れる必要があるのだろう。もう、自分自身すでに次へ進む段階になっている。
誇りとかプライドの価値観が違う国のもの同志であることは、もっと自覚しないと何度でも間違うであろう。簡単に言うとタイには儒教はない。またお金に対して日本人よりそのまま信じる傾向が強い。罪と罰の意識差はどんなものか、なかなか納得し難い。
ともあれ、ホテルやら、ゲストハウスやら、友人宅やら、タイ人の田舎の家やら、中華系の旅社やらと、色んな所で宿泊したけれど、自分で借りていたアパートの部屋がやはり居心地良かったと感じている。この部屋は一度引っ越した経緯はあるが、その後また少し長めに滞在する機会があった時、またここを借りて滞在した。
このイメージは今後も続いていくような気がする。
滞在する街は変わる可能性が高いけれど、タイランドに住む際の居心地のイメージとして、心身に染み付いていると感じる。
来月は、フィリッピンのマニラとベトナムのHanoiを見聞する機会がある。これらの国を経て、タイに戻るときにどんな気持ちになるのか、自分の本音に興味がある。
人を騙して幸せは来ないと信じる。
もっと怖いのは自分を騙すこと。居心地とは本音中の本音の世界である・・・と思う。
2014.05.07
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